27FBWはS.A.C.(Strategic Air Command/戦略空軍)隷下の爆撃機をエスコートするスコードロンとして第二次世界大戦後編成された航空団だったが、爆撃機がジェット化し高高度&高速度侵攻可能な性能を持ったことからT.A.C.(Tactical Air Command/戦術空軍)隷下に移動し、1957年7月1日テキサス州バーグストロム空軍基地でTAC部隊として再編成された。同隊は最新鋭機マクダネルF−101A Voodooを装備し、敵地に低空高速侵攻し核爆弾を投下する任務の為訓練を続けていた。 この時代のTAC配備ジェット戦闘機は冷戦時代を反映してドッグファイト能力よりも先述のニュークリアボマーとして設計された機体が多く、F−101もまた空戦には不向きな機体であった。しかし、その特性ゆえ直進高速性能は抜群で、27FBWのF−101プロジェクト・オフィサーであったAdrian E.Drew少佐が挑んだ“Operation Firewall”では1957年12月12日に広大なモハベ砂漠上空に設けられた規定コースで当時のスピード世界記録を叩き出している。 このパッチヴァージョンはその際に少佐と部隊員が着用していた一着である。